【表紙】 日本の点字制定130周年記念講演会 点字の昨日を知り、点字の明日を想う。 日時: 2020年11月1日(日)10時30分~12時30分 会場: すみだ産業会館 9階 配信URL: https://youtu.be/MyTumzy3fnU 主催:  社会福祉法人日本盲人福祉委員会  社会福祉法人日本視覚障害者団体連合  特定非営利活動法人日本点字普及協会  日本点字委員会 後援:  文部科学省 厚生労働省 毎日新聞社点字毎日 協力:  全国盲学校長会 社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会  特定非営利活動法人全国視覚障害者情報提供施設協会  特定非営利活動法人日本点字技能師協会 【1ページ】 次第 開会の辞  渡辺昭一(日本点字委員会 会長) 主催者挨拶  竹下義樹(日本盲人福祉委員会理事長、日本視覚障害者団体連合会長) 講演1  「点字は私の父、指点字は私の母」 福島智氏(東京大学先端科学技術研究センター・教授) 講演2  「<暁天の星>から<満天の星>へ -点字をめぐる不易・流行-」岸 博実氏(日本盲教育史研究会事務局長) 閉会の辞  藤野克己(日本点字普及協会 理事長) 司会 平松智子(日本点字委員会委員 和歌山県立和歌山盲学校) 【2ページ】 點字撰定要旨 第一 誤リナク早ク讀ミ得ベシ。成ルベク類似ノ符ヲ少クスベシ。 第二 早ク書キ得ベシ。點數少キ符ヲ常用多キ字ニ充(あ)ツベシ。 第三 記憶ニ便ナルヲ要ス。 第四 現行ノ假名(かな)ノ數ダケハ點字ヲ以ツテ表ハシ得ルヲ要ス。 第五 五十音ニ並ベテモ詞(ことば)ヲ綴リテモ見惡(みに)クカラザルベシ。 第六 數冠詞ハ最モ知リ易キヲ要ス。 以上 1890(明治23)年 「點字撰定會記録」より。 【3~4ページ】 福島智(ふくしま・さとし) 1962年12月25日生まれ。9歳で失明、18歳で失聴、全盲ろう者となる。 1983年、東京都立大学(現・首都大学東京)に入学。盲ろう者で全国初の大学進学を果たす。同大博士課程を終え、同大の助手、国立金沢大学教育学部助教授(障害児教育)を経て、2001年に東京大学先端科学技術研究センター助教授、2008年から現職。1991年から全国盲ろう者協会の理事を務める。2001年から世界盲ろう者連盟アジア地域代表。博士(学術)。 著書 『盲ろう者とノーマライゼーション』明石書店 1997年 『生きるって人とつながることだ』素朴社 2010年 『盲ろう者として生きて』明石書店 2011年 『ぼくの命は言葉とともにある』致知出版社 2015年 『ことばは光』道友社 2016年  共著 『生きたかった-相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの』藤井克徳(編)他、「2相模原障害者施設殺傷事件に潜む「選別」と「排除」の論理」(福島智)、大月書店 2016年  『運命を切りひらくもの』北方謙三 福島 智、致知出版社 2016年 講演 「点字は私の父、指点字は私の母」 福島智  私が点字の手ほどきを初めて受けたのは、9歳のころでした。眼科に入院中で、満足な道具もなくて、ジュースやカルピスのふたを六つ並べて教わりました。 9歳はスポンジの年齢。どんなことでもどんどん覚えられます。おそらく20分で、点字の組み合わせは全て覚えました。  「点字ってわりとかんたんやな」と内心思った私でしたが、その後に大変な苦労をすることになります。みなさん御承知のとおり、点字の触読の難しさにぶつかったのでした。 「ヤ マ」「カ ワ」 たったこれだけの言葉がどうしても読めません。 「こんな小さな字が読めるわけないやん」と半分やけになって私はあきらめかけました。  ところが、同じ病棟にたまたま入院なさっていた人の中に、点字使用者の青年やおじさんがいて、分厚い点字書をすらすら読んでおられることを婦長さんから聞いて、俄然わたしもがんばりました。 それからおよそ半年、退院後も練習を続け、どうにかゆっくりながらも点字が読めるようになりました。  私は思うのですが、ルイ・ブライユのすごいところは、点字の組み合わせを考えたということだけでなく、「すぐには読めなくても、いずれ触読できるようになるはず」と考えたことです。並みの人なら、「こりゃ、無理だ」とすぐに断念するでしょう。   ブライユが点字を考案した1829年から152年。1981年に私の母が指点字という方法を考案しました。これは盲ろう者のための会話法です。指点字は点字の原理を応用した方法です。つまり、点字がなければ誕生しなかった方法でもあります。指点字は今、私だけでなく、 多くの盲ろう者が使うようになり、韓国やマレーシアの盲ろう者も少しずつですが使っています。  これらはみな、ブライユのおかげであり、また石川倉次先生のおかげでもあります。 点字は盲人と盲ろう者の心の目であり耳であり、そして命だと思います。 【5~6ページ】 岸博実(きし・ひろみ) 1949年6月1日生まれ。1972年広島大学教育学部卒業。1974年から京都府立盲学校教諭(現在、非常勤講師)。2012年から日本盲教育史研究会事務局長。2015年から2019年まで関西学院大学等非常勤講師 2020年に第17回「本間一夫文化賞」を受賞。京都府宇治市在住 著書等 『視覚障害教育の源流をたどる -京都盲唖院モノがたり』明石書店 2019年 『盲教育史の手ざわり -「人間の尊厳」を求めて』小さ子社 2020年 「歴史の手ざわり・もっと!」点字毎日連載 2011~2019年 『万人のための点字力入門』広瀬浩二郎(編)「盲学校における点字教育の過去・現在・未来」(岸博実)生活書院 2010年 「A History of “Blindness and the Arts” in Japan: Memories and the Power of Touch(日本における「盲人と芸術」の歴史-記憶する力と触る力-)」Blind Creations Conferencein London 2015年 <暁天の星>から<満天の星>へ-点字をめぐる不易・流行-  岸 博実 1 文字の推移 -凹から平面へ、そして凸も-  人類初期の文字は、素材に凹んだ線で表現された触察可能な文字だった。紙の出現によって、見えない人たちが文字から振り落とされたが、凸字が問題を打開する。 2 ブライユ点字の将来 -アーミテージと日本をめぐる新資料-  <1884年のロンドンに派遣された折に持ち帰ったアーミテージの『盲人の教育と職業』や点字器が、後年小西信八に貸し出された>とする従来のストーリーに対し、木下知威氏の論考では1878年が注目されている。 3 日本点字の誕生 -当事者の参画-  東京盲唖学校の点字研究が石川倉次だけでなく、盲人教師、盲生とともに推進された点に重みがある。1890年の点字撰定会議では、丁寧な審査の結果、倉次の案が最も優れていると一致した。京都市立盲唖院も東京生まれの点字に従った。「アメリカのような点字抗争を起さなかった」。 4 「暁天の星」の時代とは -東西の共同研究-  明治20~30年代の点字研究は、僅かな教員たちが進めた。東西の往復文書の中に「暁天の星」という4文字。「点字を知る人は、夜が明けたあとの空に見える星よりも少ない」と。 5 左近允孝之進・マスエの仕事 -3種類の『点字独習書』-  文部省から『日本訓盲点字説明』が出たのが1911年。その頃、兵庫の左近允孝之進・マスエが『盲人点字独習書』を出版した。この本の志とは。 6 点字投票の実現 -長崎照義と中村京太郎-  衆議院議員選挙法・同施行令に「点字投票」が法定されたのは1925年。法律の条文は未だに「点字を文字とみなす」という規定に留まっている。 7 点字文法の検討 -教科書・点訳運動-  点字製版機の輸入により機関誌や新聞づくりが急速に普及した。点字図書館も立ち上がり、点訳奉仕に携わる方々も増大した。 8 点字表記法の練磨 -日点研・日点委の業績-  日本点字研究会が誕生し、続いて日本点字委員会へと発展。「点字良心」と「読みやすく、書きやすく、わかりやすい点字」。 9 「満天の星」のイメージ -楽しく・役立つ・柔軟に-  「空いっぱいに輝く星」のように、点字の魅力をどう発揮するか、目標を正面に据えた努力が必要だろう。